イタリアに住むことになりまして

すっかり大人な40過ぎからのイタリア暮らし!移住に伴う愉快なこと、生活しながら感じること、あとたまにはお堅い話もしてみたい。

初めての海外旅行で、具合悪くなるの話

19歳の時にフランスに行ったのが人生初海外旅行でした。かれこれ遡ること、90年代が終わろうとしている頃。

子供の頃からなんとなーく仲良くしていた友達が留学し、パリ近郊に住んでいたのでそちらに遊びに行かせてもらいました。

その時のお話です。

 

 

安心の同行者

最初は1人で行こうかなと思っていたけど、面識のあった友達のお姉さんも一緒に行くのはどう?となりました。3歳以上離れていた方だったと思いますが、いつも気さくでにこやかな印象の良い方だったのでそれは心強い!と思いワクワク♪

 

大きな変更

航空券を買う手配など段取りを相談しているうちに、なんと、お母様まで同行されるという話に…友達はそろそろ留学期間を終える頃でもあり、娘たちの話を聞いているうちに、それならば自分も今行っておかなければと思われたのでしょうか。

 

え、それって、あの、そうなるとですよ、私が家族旅行についていくみたいなことになってる?なってるよね?

 

と、言うにも言えず、滞在は友達の家でしようと考えていたし、もちろん航空券は自分で買いましたが地元から主要空港まで行くための行き帰りをほとんどあちら持ちにしてくれるとか、色々とご提案もいただき…19歳はまだ完全に未成年だったので、うちの親も大人が1人同行することに逆に安心したのでしょう。話がそのまま進みました。

 

楽しめたこともあった

季節はいつだったか忘れましたが、暑くも寒くもなく、少し不安定で現地では曇りの日、肌寒い日、小雨の日などに見舞われた記憶があります。

友達に会いに行ったのだけど、お母様がおられるのであまりはしゃぐこともできず、同年代の友達同士だけで過ごす自分を全開に出す感じでもなく、1週間ほどの滞在を過ごしました。

 

ヌテラを初めて知って、朝バゲットに毎回塗って、うめぇうめぇと際限なく食べていたような気がします。あとは青果のプラムが美味しくてよく丸齧りしていた。

なぜか外食の記憶がありません。

IKEAというものもその時初めて知り、友達が、フランスではこう読むけど他の国では違う読み方をするよと教えてくれたりなど。

新しい景色や知らなかったことに楽しさもありました。

 

観光も自分の希望というよりその家族についていく形に。2日目に早速ルーブル美術館に出向いてみたものの全員事前に調べてなかったため当然すぐに入れず、出直すことになりました。

 

不安定な天候と共に

数日経つと、多分お母様が家族水入らずではないことに疲れが出てきたのでしょうか、私の態度が気に食わなかったのか、なんか知らんけどイライラが見て取れるようになりました。私の歩き方が変だとか姿勢が悪いとか都度言われたり、じっと怖い顔で見てきて何も言わないとか、そういうことが始まりました。

どうしたら良いのかわからず何を言うでもなく、その変化をわかっているかどうかわからない友達に話すのも憚られ、ただやり過ごし時間は過ぎていきました。

 

そして不安定な天気でしょう?

ある日お腹を下し、嘔吐した私、友達とお姉さんは大慌て。初の海外旅行で準備の悪かった私は日本から薬を持ってきておらず、お母様が謎の薬草を煮詰めて(まずい)飲ませてくれましたが、その時も、薬をなぜ持ってこなかったのかとかなり雑に咎められました。

シンデレラかよ。あ、お姉さんは終始優しかったです。

 

寝込みながらも、隣の部屋から友達姉妹がお母様に、お母さんの態度がひどかったよ、と言っている声が聞こえてきて、わかっててくれたのかとちょっとホッとして眠りました。

 

翌日は1人で寝込んでて、親子たちは外出しましたが、その日は私が1番メインに思っていた蚤の市、ルーブル美術館に行く日だったのでした。何しにきたのか…。

その後もパリに行く機会はありましたが、まだルーブルには行かずじまいですわ。

 

帰りの飛行機でのラッキー

そんなこんなで1週間が過ぎ、計画していた時にはワクワクだったはずが、やっと帰れる!という安堵がやってきていたように思います。

我々が取っていたフライトではない会社でストライキがあったとかで、そちらに乗るはずだった方々がこちらの飛行機に振り替えられるということが空港で判明。

詳細覚えてないですが、その流れで言われるがままにビジネスクラスに案内され、帰りはちょっとしたコース料理をいただけることに!やった!

それ以来ビジネスクラスなんて乗ったことないし、あれはラッキーだったなーって今も思います。

 

2列シートの隣には知らないおじさんがいて、丁寧に話しかけられたりしていました。職業聞いてないのに明かしてきたりされましたが、日本と欧州を行ったり来たりするようなお仕事だったようです。

 

知らない人もいるんだね

で、私なぜかこの時自分が薬を持っていることに気づいたんですね。

なんでフランス滞在時に思いつかなかったのかさっぱり思い出せないですが、圧を感じる状況下において体調を崩し、思考が追いつかなかったんではないでしょうかね。

その薬はあの黒くて丸い、独特の香りがする整腸剤です。私、あれ子供の頃から信頼しているんです、今もイタリアの家にある!

 

コース料理が運ばれてきてラッキーは良かったけど、まだ完治してなくて、すごく美味しいのに残す羽目になりました。CAさんが下げにこられた時に、残すん?という悲しそうな顔をされてごめんなさいという気持ち。私だって完食したかった泣。

 

食後緊急にトイレに行かねばならなくなったり、上空でこれ以上あの友達親子の世話になるわけにはいかん、ということでそこであの黒い薬を取り出しますと隣のおじさんが、

「ハーブですか?」と言いました。

今ならわかる、臭いよ?と言いたかったのは…私はその薬は日本人なら全員知っていると信じて疑っていなかったので驚いて商品名をお伝えしましたが、きょとんとされました。

きっと私の知らない世界の人だったんですね、ビジネスクラスに乗る人だもの。

 

安全に帰ってこれました

あまり深く考えずに気軽に行ったフランス旅行でしたが、いろんな意味で盛りだくさん。なぜかパリの景色よりも自分が腹下したことと疲労感を鮮明に覚えている残念さですが、新しい景色、新鮮な情報、1週間の滞在とはいえ10代最後に自分の世界が広がるような旅行でした。

行ってよかった!

安全に旅ができたことはその場にいた皆さんに感謝しなければですね。

 

海外旅行では常備薬を常備!そしてそれを持っていることを忘れずに(あとにおいの少ないものを用意ね)

 

 

 

善意と商機の狭間:初対面での余計なお世話

↑この記事タイトル、AI機能でつけてもらったけど、いくつかの候補あって選ぶのも楽しかったです笑

 

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だいぶ前に会った人にこんな事を言われました。

「自分で語学も身につけて、経済的にも自立しないと、この国で旦那さんが働けなくなったり、1人でなんとかしないといけなくなったら大変だよ?」

その人は初対面で、会って1時間も経っていなくて、たまたま知人の知人(ほとんど知らん人)としてカフェで同席した方。

その前にお互いに年齢の話などもしており、今思えば面接みたいな会話だったなーとも思いますが、私が日本でどんな仕事をしていたかなど、これもお互い軽く話しておりました。

 

新しい地で新しい仲間ができるのは心強く嬉しい事なので、誘われる形でその時間私はそこにおり、その人からそのような言説をしばらく聞きつつ「そうですね、そうですね」と相槌を打っておりました。

 

その人の言っていることは、1足す1は2、くらい誰でもわかることです。以前日本で保険のセールスにあった時の事を思い出しました。

「⚪︎⚪︎という病気になったらどうするの?高度な医療を必要とした時の保険は入ってる?女性の平均でコレコレ%の人が罹っている病気で…」

別にそれを話している人が悪いとか、間違っているとかは思いません。保険のセールスの人はしかも仕事だし!勉強なるわ、と感心してメモ取る勢いです。

 

前述のその方もなんかビジネスくささを感じたのですよ。

40半ばのおばさんにこの人は何を言っているんだろうというか(小娘だったらなんでも言っていいとかいう話でもない)、人を見て話していると言うよりは、常に商機を探っておりテンプレの文章があってそれをしゃべっている?という気さえしました。

 

私がもしかしたら、例えば投資なんかですでにひと財産あって実は夫の稼ぎに頼らなくても生きていける、セミリタイアしている中年女性かもしれないよ。壮絶な過去があり、精神的に働くことが難しくて、そんな私を受け入れてくれるパートナーと出会えて今があるかもしれないよ。すでに専門職で仕事を始めようとしている、どこの国でも一応やっていけるような人かもしれないよ。単なる例ですけど、そう言うことを考えはしないんだろうか。

 

事情がどうであれ、それぞれの夫婦や家庭では他人にシェアする必要のない会話がなされており、それぞれの方向性だったり形があり、今後の予定などもあったりなかったりしますよね。

 

その人は自分のできることで人の助けになりたいという考えを持ってそのような声がけを初対面の人にしていた、と善意に捉えることはできます。けど、すごく、余計なお世話だなーと思いました。

これが家族とか親しい友人とか、自分から相談を持ちかけた経験値の高い人とかならそうは思いませんけどね、だって言っていることは普通のことだからね。

 

のちにやはりその人は商機を狙っていただけなのが判明するので、個人でやっている人は世間話からもそのように意識して会話せねばならず大変である、と思いました。というか私はその方のターゲット層じゃなかったようで、知人を通して会いたいと言ってきたのはあちらでしたが、その場で連絡先も交換しましたがその後連絡はありません。

 

終わり。

 

 

イタリアでCalazio(霰粒腫)の除去手術をしました

イタリアでというか、欧州の他の国にお住まいの方からもチラホラ聞きますが、医療にかかるための道のりが一筋縄ではいきませぬ。

今から約1年前に初診を受けたcalazio(霰粒腫)が完治いたしました。めでたい!

瞼のまつ毛の生え際あたりに3ミリくらいの塊(脂肪とか)が埋まってるようなものがあり、ポコっとしていました。すっごい小さいけど瞼にあると邪魔っていうか、痛くも痒くもないけどメイクも思うようにできないし地味なストレスでした。

昨年8月の再診からどんな流れだったか記録します。ちなみに私には病院で正確に言われたことを把握するのは難易度高いので、必ず夫もしくはイタリア人家族に付き添ってもらっています。

 

 

再診

Medico di base(家庭医)に紹介状をもらって再診の予約をした時のことはこちらの記事後半に書いたのですが、

italianisumukotoni.hatenablog.com

その予約当日。

パブリック(保険が使える方)の眼科医の診察は総合病院の中になるので、大きな病院の中の眼科の診察室がある階へ行きます。ちなみに予約時間に行ったとしてもその時間にすぐに診てもらえるわけではなく、ただの目安くらいに思って行く必要があり、いつも大体予約時間より30分前くらいには行っています。

予約時間に行って支払い

眼科の受付をしてもらえる場所に行き、まず番号札をもらいます。機械で自動に出てくる紙に番号が表示されているものなのですが、機械の近くにスタッフ(看護師さんのような人)がいてその方に何しにきたかを伝えたら、その紙をくれたり別の案内をしてくれたりします。

その番号札は何のためかというと支払いのため。順番が来ると支払いをする窓口番号がわかりその窓口でmedeco di baseからもらった予約券(A4の紙に必要事項が印刷されたもの)を見せると必要な支払い金額を教えてくれます。

※健康保険証を使っての診察ですが、診察内容によって多少の支払いが必要となります。

するとそこで、どの場所で待つようにという案内と診察のための自分の呼び出し番号をもらいます。やっと眼科の診察の待合室へと進みます。

診察室に呼ばれるのを待つ

眼科の診察の待合室、20個くらい座るとろがあったかと。その奥にいくつか診察室がある様子。その時は5人ほど先に待っていて、みんなが見れる場所に番号が映し出されたディスプレイがありました。しかしそのディスプレイに表示されている番号って、さっきもらった呼び出し番号の桁数と全然違うしアルファベットがこっちには付いてて表示されている方にはついてなくて、みたいな…結果全く呼び出し番号とは関係ない番号が表示されていたようでした。何のためなんだろうあれ、関係者用なのか…?

1人また1人と呼ばれますが、せっかく呼び出し番号持ってるのに、なんか知らんけどフルネームで呼ばれます笑

個人情報取扱は??番号なんでもらったん??などの疑問はさておき、予約時間から30分以上待ってやっと呼ばれました。ね、予約時間はただの目安です。

診察5分、手術日の目安を知る

これは日本のお医者さんでもそんなもんかもですが、診察時間より待つ時間の方が長いですよね。

その再診の時点で発症から半年以上経っていたcalazioでしたので、初診では「自然と小さくなるかもしれないので様子を見ましょう」と言われたもののその後特に変化なしであることなどを伝え、そのままにしておいても特に害はないものだけど見た目的に気になるなら手術する?というようなことを医師に言われました。

プライベート(保険を使わない)でするなら9月に手術の予約が可能、パブリックなら11月になるよ。とのこと。

ちなみにプライベートだと金額がパブリックの10倍…これまで治りもしない診察や薬に費用がかかており、緊急性はないし、ここまで待ったならまあその手術で完治ができるしとパブリックで手術することにしました。

日程の決まり方

その再診の日に手術の日がわかるわけではなく、その月になったら電話で連絡をもらえるとのこと。夫の携帯番号を伝えておき、この日は承諾書など当日必要な書類をもらって病院を後にしました。

 

手術前まで

この月に手術が受けられるよ!と聞いていた月となり、夫婦でそわそわしておりました。

連絡があった

電話番号間違えて伝えていたかしら!?と心配していたけど、とうとう病院の方から夫に電話がありました。まずはCOVIDテスト、PCRテストの日をもらいました。それを受けると結果がその翌日にわかり、それが陰性ならテストの翌々日に手術を受けられますとのことでした。

PCRテストを受け手術日を知る

もらった日程に再診を受けた同じ総合病院に行き、テストを受ける場所は電話連絡で聞いていたものの大きな病院なので少し迷い、途中で看護師さん風な人に聞いたら優しく教えてくれて無事に検査室に到着。

室内に2人係の方がいて、行くとすぐ、「はいそこに座ってください、保険証は?」と手慣れた感じで本人確認され、本当に30秒くらいで終わりました。

この時のために時間休を使って付き添ってくれた夫、拍子抜けしておりました笑

なんか悪いなぁ、なんて思ってたんですが、あの検査室探すのはイタリア人でも難しいよ、と言ってくれるなど優しさ炸裂の夫であった(惚気)。

翌日結果をもらうと陰性、無事に電話連絡で聞いていた日程で手術をすることとなりました。

 

手術の日

日本だと眼科で診察受けたついでに、もしくは次の診察とかでちょいちょいっとするイメージがあるため、ここまで段取りされてする手術ってどんなの…?ってドキドキしつつ当日を迎えました。

待合室から呼ばれて進んだら

手術の部屋は診察で行った場所と同じ階でしたが違う一角にありました。

待合室は本人意外は入室禁止で、その日も付き添ってくれていた夫は外で待つことに。予約時間から10分くらいで呼ばれましたが、他に待っていた男性も同時に呼ばれてました。

次は看護師さんが何人かいる準備室みたいな場所に通されて、その室内のロッカーに荷物を預け…歯医者さんで見る椅子のようなものがいくつか並んでいてそこに座ります。

既にそこに手術前っぽい方が数人…。

看護師さんはとても親切で、そこでは私も付き添ってもらう人もいないし、カタコトのイタリア語でコミュニケーションを取りつつ指示に従います。何かしらの目薬を刺され、点滴する用の針を腕に装着され、靴の上から不織布のカバーをするよう言われ、同じく不織布の帽子を被らされ、さらに服の上からも不織布の手術着を着ました。

待っていると先に手術着を着て待っていた数人の方が呼ばれて奥に行ってしまいました。どうやら数人ごとに同時に準備室に来てもらって、準備して、先に呼ばれて準備終わった方から手術室に呼ばれる、という段取りだったようです。

自分の番

点滴の針を刺された時点でまあまあ戸惑っていたのですが、ベテラン風看護師さんがイタリア語そんなに話せるなんてすごいね、とか、私が同じくらい日本にいてもそれくらい日本語を話せるかわからないわ、など大変優しい言葉をかけてくれるのでジーンとして安心しました。

そして30分以上待ったと思いますがやっと私の名前が呼ばれ、連れられたのはドラマで見るような大きな手術室!!

え!ここ!?と内心ドギマギしますがどうしようもないので言われるがままに手術台に乗ります。

もうあとはされるがまま。瞼の周辺のみの麻酔で、その時の針の感覚だけは痛かったです。目以外はビニールのような物で覆っていたようですが、目は見えている状態で先生の声も聞こえます。感覚はないけど、怖かった〜。

何となくどんな作業をしていたか想像はつくけどここに書くのもアレだから飛ばしますが、最後何針か縫われて終わり。先生が助手の人に塗った糸を鋏で切るように頼むのもわかるんですが、「Ecco, brava」って助手の人を褒めたりしているのがなんか緊張感なくて面白かったです。

片目にガーゼか何かを貼られて先ほどの準備室へ。この時も先ほどの看護師さんが手を引いてくれて、怖かった?など声をかけてくれました。こういう対応が暖かい!

しばし待機してから説明を受け帰宅

不織布の術着などは脱がせてもらい、またさっきの歯医者さんみたいな椅子に座ると、小さいカップに暖かい紅茶を出してくれました。気がきくぅ。

先に手術が終わっていた人が、手術の合間に準備室に来た執刀医からイタリア語でブワーッと説明を受けています。あれ、私には聞き取れないんだが!?どうしよ!とそこでもドキドキ…。

私はまだ術後ほやほやだからか、待たされていて、途中で軟膏を瞼に塗られガーゼを交換されました。あの先生の説明どうしよっかなーと思い、看護師さんに、外に付き添いの人がいるんですがその人に説明してもらえるか、というのを聞くことができ快諾。

しばらくすると解放され、すると待合室の外の付き添いの人が待つところにいた夫に既に先生が説明を終えていたところで、「(処方薬のこととか抜糸の日のこと)言っといたよ〜」てな感じで去っていかれました。軽やか。夫もほっとした様子。

点滴の針を腕に刺されたけど特に使わず、おそらく麻酔した時に何かあった時のためではないか、と夫と話しました。

 

術後の過ごし方

目は少し腫れていて、目の周りは字のようになっていたので、処方された軟膏を2種類を決められた通りに塗布し、丸いガーゼを片目に貼った状態でいました。

まさかの眼帯ってものがない。ガーゼを医療用テープで貼るだけ。

なんかこういうやつ。でもこれは義母が自分家の棚の奥から見つけ出したもので、ちょっと古かったので新しいのを買いました。通貨がリラの時代のものだった!

誤解をされる

その時期は語学学校へ通っていたのですが、実は同時期にイタリア国内では男女交際のもつれで起きた事件が大ニュースになっておりました。

眼帯がわりのガーゼをビッ!と医療用テープで貼って学校に行くと、受付の事情を知らない人に「Tutto bene?(何も変わりはないか聞く時の声かけ)」と怪訝そうに心配されたり、家に帰る途中で近所のおばさまから「何かあったら言いなさいよ?」など声をかけられるなど…いやいや、DV受けたと思われてる私!?と焦りました。

義母にそれを話すと笑いながら「絶対あり得ないけど、もしマジでそんなことあったら全力で守るわ」と言ってて、思わぬところでほっこりです。

抜糸をした

術後1週間くらいで検診があり、抜糸の運びに。その時も再診の時と同じように番号札、支払い、診察の待合室で待つ、という流れ。この日の付き添いは義母。やはり結構待たされましたが、イタリアの医療システムに文句言いながらも一緒に待ってくれました。

この日は結構待っている人が多かったですが、やはりフルネームで呼ばれ笑、診察室に通されサクッと抜糸されました。

後で思えば再診、手術の執刀、抜糸、全て同じ女性の眼科医の方だったので、同じ人が受け持つのが当たり前と言えば当たり前なのかわからないけど、最初から最後まで抜かりなく対応してもらえたんだなと感謝の気持ち。

 

その後

抜糸後も軟膏をしばらく塗って、アザっぽいのは徐々に引いていき、ガーゼはすぐにいらなくなりました。

当初よく見ると切った後が線になっていましたが、それから3ヶ月弱経った今はそのことも忘れるくらい痕跡なし!

夫からは、イタリアの医療は待たされるけどお医者さんの腕はいいんだよ、と聞いていましたが、そうなんだなと実感することとなりました。看護師さんも親切だったし。

1年かかったのでもう二度とcalazioをうっかり発生してしまわないようにしなければ!という強い意志で過ごしております。

 

めでたし、めでたし