イタリアに住むことになりまして

すっかり大人な40過ぎからのイタリア暮らし!移住に伴う愉快なこと、生活しながら感じること、あとたまにはお堅い話もしてみたい。

善意と商機の狭間:初対面での余計なお世話

↑この記事タイトル、AI機能でつけてもらったけど、いくつかの候補あって選ぶのも楽しかったです笑

 

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だいぶ前に会った人にこんな事を言われました。

「自分で語学も身につけて、経済的にも自立しないと、この国で旦那さんが働けなくなったり、1人でなんとかしないといけなくなったら大変だよ?」

その人は初対面で、会って1時間も経っていなくて、たまたま知人の知人(ほとんど知らん人)としてカフェで同席した方。

その前にお互いに年齢の話などもしており、今思えば面接みたいな会話だったなーとも思いますが、私が日本でどんな仕事をしていたかなど、これもお互い軽く話しておりました。

 

新しい地で新しい仲間ができるのは心強く嬉しい事なので、誘われる形でその時間私はそこにおり、その人からそのような言説をしばらく聞きつつ「そうですね、そうですね」と相槌を打っておりました。

 

その人の言っていることは、1足す1は2、くらい誰でもわかることです。以前日本で保険のセールスにあった時の事を思い出しました。

「⚪︎⚪︎という病気になったらどうするの?高度な医療を必要とした時の保険は入ってる?女性の平均でコレコレ%の人が罹っている病気で…」

別にそれを話している人が悪いとか、間違っているとかは思いません。保険のセールスの人はしかも仕事だし!勉強なるわ、と感心してメモ取る勢いです。

 

前述のその方もなんかビジネスくささを感じたのですよ。

40半ばのおばさんにこの人は何を言っているんだろうというか(小娘だったらなんでも言っていいとかいう話でもない)、人を見て話していると言うよりは、常に商機を探っておりテンプレの文章があってそれをしゃべっている?という気さえしました。

 

私がもしかしたら、例えば投資なんかですでにひと財産あって実は夫の稼ぎに頼らなくても生きていける、セミリタイアしている中年女性かもしれないよ。壮絶な過去があり、精神的に働くことが難しくて、そんな私を受け入れてくれるパートナーと出会えて今があるかもしれないよ。すでに専門職で仕事を始めようとしている、どこの国でも一応やっていけるような人かもしれないよ。単なる例ですけど、そう言うことを考えはしないんだろうか。

 

事情がどうであれ、それぞれの夫婦や家庭では他人にシェアする必要のない会話がなされており、それぞれの方向性だったり形があり、今後の予定などもあったりなかったりしますよね。

 

その人は自分のできることで人の助けになりたいという考えを持ってそのような声がけを初対面の人にしていた、と善意に捉えることはできます。けど、すごく、余計なお世話だなーと思いました。

これが家族とか親しい友人とか、自分から相談を持ちかけた経験値の高い人とかならそうは思いませんけどね、だって言っていることは普通のことだからね。

 

のちにやはりその人は商機を狙っていただけなのが判明するので、個人でやっている人は世間話からもそのように意識して会話せねばならず大変である、と思いました。というか私はその方のターゲット層じゃなかったようで、知人を通して会いたいと言ってきたのはあちらでしたが、その場で連絡先も交換しましたがその後連絡はありません。

 

終わり。