イタリアに住むことになりまして

すっかり大人な40過ぎからのイタリア暮らし!移住に伴う愉快なこと、生活しながら感じること、あとたまにはお堅い話もしてみたい。

ロンドンでホームステイした時の話

イタリアに関してではないけど、思い出ブログです。

20代後半の時にイギリスはロンドンに1年住んだことがあり、最初の3ヶ月はホームステイでした。行く前はわかっていなかったけど、1年のうちの3ヶ月もホームステイする人はあまりいなかった印象。

留学の手続きは日本で正社員として働きながら、留学エージェントに相談する形で進めました。自分の持っていたイメージとかを伝えて、現実こうなるよみたいなアドバイスとかプランを提案いただいて、そこから選んで、今考えたらかなりの手続きをお任せしていた気がします。ありがてぇ。

そんなわけで、普通だったら学校の近くにホームステイ先を探すだろうに、私ったら、ちょっとだけ郊外のゆったりできるエリアが良いなどと希望をしたので、学校がzone1(地下鉄のマップの)なら住居はzone3みたいなことになり、あのロンドンの当時でも高かった交通費を払って学校通っていました。

 

しかしそんなに結果、悪くなかったのでした。

 

 

あの有名な横断歩道を渡る姿は、ホームステイしたての頃の思い出です

ホストマザー

3階建くらいの集合住宅が集まって塀で囲まれた場所にそのお宅はあり、敷地内には芝生、裏にも芝生、リスさんもよく彷徨いてる、そんな優雅な景色でした。地下鉄の駅からは徒歩8分ほどだったか。よう覚えとるな。

2階に住むホームステイ先の方、ホストマザーはかつてポーランドから移住してきて、こっちに息子たちや孫たちもいる、そんな状況でご自身のアパートのもてあましている部屋を利用して留学生を受け入れていました。

もちろん英語は話されていましたが、時折かかってくる電話では「タックタック」みたいな相槌のような言葉を発していたのを覚えています。

夜は時々だったか毎晩だったか、ウォッカを1杯飲むのが習慣で、私にも勧めてくれたけどその時初めて飲んだウォッカ、一口で胃が燃えている感覚!残念ながら晩酌のお付き合いはできませんでしたが、マダムのその習慣がなんだか粋でした。

夕食前後に彼女がポーランドにまつわる歴史の話をすることは少なくなかったです。しかしながら、滞在3ヶ月未満の私のポンコツ英語スキルで理解できる範囲ではなかったため、物足りなさそうでした。簡単な部分は理解できたのですが、それでも結構刺激的というか、強い想いが残っていることがわかりました。その国のその出来事のそういう感情に触れることも人生でその時が初めてで、なんと答えていいかも全く分からず、ただただ理解できる範囲で頷くのみ…。

後述します他の留学生によってホストマザーの物足りなさは解消されましたが、その影響もあってか、のちに私はアムステルダムへの旅行にてアンネフランクの家を見学するなど、それまで深く知らなかったことを知りに行くきっかけになりました。

そういう歴史に関する話にはついて行けなかったですが、長期間やっていた(今はどうでしょう?)『イーストエンダーズ』というソープオペラを観ながらまるで本当にその役柄の人が存在するかのように、⚪︎⚪︎はひどいわね!▲▲は嘘をついていると思う!など、本気のトーンで感想を言っていて、それに付き合うのはなんだか楽しかったです。

 

ホームステイ中の食事

食事は朝は各々勝手に朝ごはん用にあるものを食べてOK、ランチは自分で食パンにハムを挟んで持って行って、夜は毎晩手作り。他のステイ先の話を聞いてると毎晩冷凍ピザを出されるという子もいたので、私は当たりだったのか…と密かに思いました。

夜の手作りご飯にはたまにビーツを使ったものもあったり、ポーランドみを感じつつ、大抵は煮込んだ豆と何かメイン、みたいな感じ。割と薄味で塩分控えめをアピールされ、体に優しく美味しかったです。それまでほとんどなかったのですが、彼女の食事をいただくようになってから足が攣るようになったので、あまりにナトリウム不足にはなっていたのかも笑

毎週火曜は魚よ!と住み始めに宣言され、なんでそんなことわざわざ言う…?と思いましたが、日本だと肉より魚の方がお手頃なイメージだったのが、イギリスだとそうでもなくてそんなふうに宣言されたみたいでした。

そしてその火曜には近くに住む彼女の息子さん、その時で50歳前後?に見えましたが、が毎週訪れ一緒に夕食をいただきました。日系の企業に勤めているとのことで、英語の拙い得体の知れないアジア人にも親しみを持って話をしてくれる方でした。たまに会話の中の英単語を説明してくれて、その時覚えた単語はそこから一生忘れてないです。

 

その家に滞在していた他の人たち

私が滞在していた部屋の他にもう1室あり、時期違いで2人に会いました。

ホームステイし始めた時にすでに女性のブラジル人のアーティストの方が短期間の滞在をしていました。しかもそのお家のリピーター、リピートするほど居心地が良いんだなと安心したのを覚えています。

語学学校のクラスメイトにもブラジル人がいて、その子が、ブラジルの人は誰でも家にプールがあるよと言うので、ホームステイ先のそのお姉さんにみんなお家にプール持ってるの?と聞いたら、んなわけないでしょ〜!と真実を知ることができました。

あとは最初に地下鉄のオイスターカードの買い方を教えてくれたり、日本に手紙を書くときに住所をどこに書くかなども…思い出したらなんて初歩的な事を…ホント親切だな!!ありがとう!!

彼女がその家を去るときに、それまで使っていた南国っぽい柄のショールをくれました。手触りが良くて、そのお姉さんのように軽やかでおおらかでいられそうな気がしてそこから数年使いました。

 

ブラジル人のお姉さんが去った後に入ってきたのが、当時セルビア&モンテネグロと言う国名だった地域から来ていた大学生。19歳か20歳くらいだったけど、美貌と頭の良さを兼ね備えてさらにコミュニケーション能力も高めな子で、圧倒されました。

夕食時のホストマザーの歴史考察にも気の利いた返しというか、当たり障りなく、でも深く会話していたように見えました。

外で会う約束をしたのに来なかったり(どうせ家で顔を合わせるので、何があったか説明してと詰め寄ったら謝られた)、一緒に夜クラブに遊びに行ったらナンパしてきた人と体を密着させて踊ったり、1ヶ月の滞在なのに近所でバイトを見つけてきたり、私から見るとあまりの行動力と少し奔放にも見えた彼女でしたが、すでに英語はスラスラと話していたしそれを習いにイギリス滞在しているわけでもなく、大学生の夏休みの過ごし方なので考えたらそんなもんですね。

彼女の滞在終盤に一緒に飲みに行こうと誘われ、割と近めのバーへ。

ホストマザーから聞いている歴史の話については、あの時代の人だからああいう風に某国の人に拒否感を表すのは仕方ない、でも私たちは新しいジェネレーションだから、仲良くしていけばいいのよ。というようにいろいろ話してくれました。

平和な国から来てボケッとしてる、勉強不足だって私がつぶやいたら、彼女が、自分の国では内戦があって、道端には注射器が落ちていて、だから生きるために危ないことから身を守る術を得なければいけなかっただけで、平和で勉強不足とかそんな風に思わなくてもいいんだよ。って。

ほんの1ヶ月の出会いでしたが、彼女にはたいそう刺激を受けたので今でも印象深く覚えています。

 

よその国での出会いは一瞬でも一生もの

(また壮大なまとめに入ろうとしている、私の癖である。以前働いていた会社の後輩にも、面談中にどんどん話が壮大になっていくので、ネタにされたことがある。良い思い出)

そう、ほんの1週間でも1ヶ月でも、はたまた数日、一瞬でも、自分がいた環境や文化と違うところの人たちとのふれあいって濃度が密で、その後もずっと忘れ難いってことが多いです。

その後の期間にも色々と新しい体験などしましたが、ホームステイでしか味わえないことを3ヶ月たっぷり経験できたのは良かったです。

このように私がイタリアにも躊躇なく来てのほほんとしていることに、少なからずつながっているようにも思います。